濃いエロマンガ家達、あるいはエロマンガ的王道
なにか恣意的なものを感じるくらいにある意味見事な結果だ。
失礼な例えだが、コアマガジンや茜新社がエロマンガのスタンダードだと思っていたところに、じつは一水社や松文館こそが王道なのだ、といわれたようなショックを感じる。
もしも、この十人の新刊を書店に面陳したら、いかにも濃い感じになりそうで、これこそがエロだという凄みを発するはずだ(もっとも、一般の客はドン引きだろうが)。
不甲斐ないことだが、私自身の好みが軽くて甘いために、ヘビーで胃にもたれそうなエロマンガについては、このblogでも取り上げていないし、またその任に適しているとも思えない。
エロというものの要素の中には怪しく、時に危険なものが確かにある。そしてそれらはマンガという方法以外で描写すべきではないと私は考える。同時に、この事実こそがエロマンガの存在を必要たらしめているいるのだと信じている。
これはあくまでも個人的な意見であるが、危険な想像力に一定の形を与えることにより、それを現実に噴出することを防ぐ働きがエロマンガにはあるのではないだろうか? この考え方にはいろいろな意見があるだろうが、言語化できない欲望の力を恐れる立場を私はとっている。
思いの外固い話になってしまい恐縮だが、自分の見ている世界のみを真実だと思いがちなところ、思いもよらなかった世界をみせられて、びびってしまったヘタレがいる、とお笑いいただければ幸いだ。
もしかするとマンガ専門店のエロマンガコーナーの華やかさではなく、駅前の書店の片隅にある近づきにくい黒っぽい感じの一角にこそ、エロマンガの神髄があるのかもしれない。