猟奇への憧れ

猟奇王がなかなか走り出さない。
私は昭和のころからいつ猟奇王が走り出しても良いように、枕元に地下足袋を置いて寝ているのだが、気が付くと元号が代わり、足袋裏の“ゴム”もへたってきている。
若い自分には、いっそのこと自分が猟奇王に成り代わってやろうと、覆面を作ったこともあるが、いざ掛ける段になると、どうしても腰が引けてしまい、結局は走ることが出来なかった。それから月日は流れて、平成生まれが“社会人”となって働くようになったいま、自分から走り出す気力も体力も無くなってしまった。
そうこうしているうち頼みもしないのに、世間は情報化とグロバリゼーションによって、どんどん猟奇を追い立ててゆき、日活映画並の“ロマン”ですら存在を許さなくなった。まったく、眉間の皺も増えるわけである。
それゆえエロマンガというマイナーな世界に浸りながら、日々を悶々として過ごしているのだが体制や法律といった“現実”が、ここにも顔を覗かせるようになってきている昨今、だんだんと居心地が悪くなってきている。しかし、エロマンガから猟奇が無くなってしまったら、いったいこの世のどこに猟奇を求めよというのだろう!?
まだ日本にも走りたい人間は少なからずいるはずだが、それらもだんだんと老いぼれてきている。そして遠くない未来には、走ることのできる人間はいなくなってしまうだろう。
猟奇王よ。今こそあなたが号砲を鳴らし走り出す時だ。まだこの平成の世のどこかに、目をみはるような猟奇世界がどこかにあると信じている。
地下足袋が使えなくなる前にどうか走り出してくれ猟奇王!