エロ漫画家の資質

必要条件としては“絵が上手いこと”が一番最初に挙げられる。前にも描いたが男女の絡みや、身体のクローズアップが描写の中心となるエロマンガで絵が下手だというのは、身長150センチの人がバスケットプレイヤーになるのと同じくらい致命的なハンデとなる。
しかしながら“絵が上手い”ことが必要十分条件かというと、そうでないのがエロマンガの面白いところだ。例えば瀬奈陽太郎は、師匠達よりも絵が達者だがそのエロマンガは今ひとつ実用性に欠ける。またふうたまろは同門の法田恵と同じかそれ以上の画力を持っているが、エロ漫画家としては人気・実績ともはるかに劣っている。
名前を挙げたお三方には悪いが、マンガ評論家のいしかわじゅん氏の言葉を借りると、他の漫画家を例にするとシャレにならないのために、あえて挙げさせていただいたのでご勘弁を。さらに付け加えると、今日の日記で取り上げた麻生我等も絵の実力は折り紙付きだが、そのエロマンガはいま三っつくらいぱっとしない。
これは“萌え”についての問題にもかかわってくるのだが、絵のうまさに加えてどのようにキャラクターを崩していくか、あるいは主観というフィルターによってねじ曲げるかというところがエロマンガとして成功するための課題になってくる。例としては極端だがHG茶川くらいの強烈な偏光レンズを持つことによって、初めてエロ漫画家として成功できるのかもしれない。
どうやら崩すことと、“萌え”については共に同じ物のとらえ方の違いとして語ることができそうだ。ここら辺を作業仮説として“萌え”についてもう少し考えてみたい。