フェミニズムの立場から

端的に「鬼畜ロリ」そのものがキモイ。もっと言うとグロイ。更に言えばそれは精神的ブラクラ以外の何ものでもなく、一般女性に深刻な恐怖を、その表現そのものが与えている。

http://d.hatena.ne.jp/araignet/20080316/1205667464

という議論があるのは重々承知の上で、

ゾーニングに妥協はありえても、児ポ法に妥協はありえないんですよ。児ポ法改正論は、警告じゃなくて、実弾なんです。そこが多分食い違ってる。
NaokiTakahashi

http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/

という同日記に対するコメントと同じ立場を私はとっている。
なぜならこの問題はすでに政治になってしまったから。
規制賛成派と反対派という二つの党派間の闘争において、相手からの妥協の動きが無い現状においては、基本的なスタンスに疑いをもたれるような、安易なゾーニングなどの言葉は使ってはならない。そんな弱腰では同じ党派、もしくは賛同する者はついてゆくことが出来ないだろう。
宣戦を布告され、いやおうもなく応じたからには、絶対に勝たねばならない。この場合、勝つというのは、相手の主張を殲滅し、こちら側の意見に服従させることだ。そう、戦争が政治の延長であると同様に、政治とは闘いであって何かを相手に強いるという覚悟を当然に持っていなければならない。
昨日の日記では、

二つの立場を足して二で割って、双方共に不満を持ちながら、それでも傷つけあうことなく同居してゆく、という姿こそが成熟した民主主義

http://d.hatena.ne.jp/byj6/20080319/1205929069

と書いたが、これは“傷つけあう=内戦”を回避するためのまさにギリギリの段階で行われるものであって、そのためには政治的な均衡状態をつくり出す必要がある。規制反対派が圧倒的少数である現状で、妥協やゾーニングなどといった下手にでるような申し出は、鼻でせせらわらわれるだけだ。
政治になった以上、どんな手をつかってでも賛同者を増やし、最終的には議会の投票において相手よりも多数の賛成票を得なければ、そもそもやる意味が無い。相手への思いやりというのは、勝ってからすることであって、負ければなにもかも無くしてしまう。
あらゆる表現の規制に反対する、という政治的な立場を宣言した私は立ちはだかるすべてのものを倒す覚悟をしている。