木戸銭払わぬ野次馬から一言

喧嘩とは読んで字のごとく、華々しく宣伝するものであり、当然その内には芸が含まれているはずなのだが。
たとえば町山智浩(仮)と唐沢俊一(仮)が喧嘩をしたとする。
方やハリウッドで孤軍奮闘する映画評論家、方やテレビでも有名な雑学評論家というところまではネットで調べれば解るが、それ以外のアングルやギミックがまったく見えないので今ひとつ面白さにかける。
互いの因縁や抗争にいたった経緯を、東京スポーツ並にわかりやすく面白く報じて欲しいと思うのが人情だ。
紙のメディアが主流だった前世紀までは評論家という名前で飯を喰っているならば、どこぞの編集者なりプロダクションなりの、両者に通じているとされる人間がいた。そしてさもそれっぽいことを噂の真相または「創」で解説してくれたものだった。
今世紀になってから評論家というものの飯の種の内容が変わり、双方がまったく経済を異にしてしまう事態も現れて、評論家という名刺だけでは喧嘩が成り立たなくなってしまった。
これと似たことは評論家業界だけに限らない。片方が命がけの戦争をしているつもりが、相手はというと最近あまり見ないがどうしているか、くらいにしか思っていないことはざらにある。そんな具合だから周囲も良く解らない内に、ある日命がけの方が相手に斬りつけたりするから、突然の狂行に呆然となってしまったりする。
またもや脱線してしまった。
め組の喧嘩、とまでは言わないがもう少し楽しくする工夫が双方共にあって良いはずだと思う。
最近の人気記事がとんと面白くないので、少々愚痴ってみた次第である。