エロマンガの画力

人生画力対決

http://ameblo.jp/saibararieko/entry-10240502937.html

ビッグコミックスペリオール西原理恵子の野犬ぶり*1を久々に見た。
毎日新聞での連載やそのテレビ化などで、もうそろそろ枯れてゆくのかなぁ、と思っていたらまだそっちにはいかないようだ。
しかしなんだな、たぶん今回の企画は失敗だろう。
税金をどれくらい値切れるか? 値段の割にここの店の飯の味はどうよ? などその企画の中で銭金の損得ががからむと西原理恵子は破れかぶれ的な強さを発揮するのだが、それ以外の海外のレポート漫画などはあまり面白くない。
“画力”という言葉はとても曖昧だ。
さらにそこへ“漫画の”という言葉を組み合わせるともう訳がわからなくなる。
“漫画の”という形容詞は本来ならば条件を限定するものなのだが、元になった“漫画”という単語自体が、新聞の一コマ漫画から劇画やこのblogで扱っているエロマンガなど、定義するのが一つの学問になるほど大きなものだからだ。
漫画家同士、どちらが絵が上手いかを比べることはできるだろう。
スペリオールでやっていた、しりあがり寿西原理恵子の対決では、どちらかというとしりあがり寿の方が上手いと私はおもった*2
けれどもブラックジャックとか宇宙戦艦ヤマトなどのお題を出されて、どちらが上手く描けるかということをした場合、ほとんどの漫画家はアニメの原画家に勝てないので、出題内容についてもう少し考えるべきだと思い至る。
それならば馬とかジェット戦闘機、富士山などの現実にあるものならばどうか? 東京芸術大学絵画科の学生とやったら、漫画家側は全く勝負にならないはずだ。
そして、大半の原画家や東芸出身の画家よりも、西原理恵子しりあがり寿の方がはるかに稼いでいるのを知っていると、今回の人生画力対決というものに対してほとんど興味が無くなってしまう。
対決して勝敗を決めるようなものならば、もっと方法を考えなければならない。
漫画の画力を比べるならばそこには見る者の想像力をいかにかきたてるか、ということが審査の重要な対象とならなければならない。
ただ、包丁を描くのならば漫画家はお呼びではない。それがいったいどれほどの切れ味を持つのかを、読者に想像させ、納得させる。それが漫画の画力という、とても曖昧だが確かにあるものを解いてゆくための鍵となるはずだ。
そして、エロマンガの画力というタイトルについていうと、どれだけ多くの読者のチンポコを勃たせるかというのが重要なことになってくる。保健体育の教科書にある性器の図ほど萎えるものは無いことが、逆の意味での証明になっていると思うのだがいかがだろう?

*1:ミシュランのパッポン堂氏がそのやり口をこう評した

*2:五十歩百歩、目くそ鼻くそのレベルであるにしてもだ