80年代、そしてあまたのエロマンガ雑誌

ホットミルクについて調べていく途中で、懐かしい名前が次々と見つかり、その度に80年代にあった色々なことを思い出して手が止まった。
斉藤O子は15年も編集長を務めていたとか、三峯徹がいまだに現役のハガキ職人として“あらゆる”エロマンガ雑誌に投稿しており、るりあ046は当時から生死不明なところがあったがblogによると元気なようだ等々。
80年代はオタクにとってちょうど85年を境に、前半と後半で劇的に環境が変わった時代だった。私とエロマンガとの関わりは主に80年代の後半からだったので、この時代については魔女刈りめいた暗さが印象的に残っている。だが、それからずいぶんと時間が経った。感慨は色々とあるがただ一つ、拘置所宮崎勤は死刑が執行されなければ今年で45歳になるということだけ書いておく。
しかし、まあ、漫画ホットミルクを筆頭にこれまでどれだけのエロマンガ雑誌が創刊されては潰れていったことか。零式、漫天星、フラミンゴ、夢雅などなど、それはそれはたくさんのエロマンガ雑誌が休刊していった。むしろ長く続いているパピポなどの方が珍しい世界だ。今年に入ってからも既に休刊となったのが3誌、創刊されたのが2誌、増刊扱いの物や不定期刊行、書籍扱いのものまで含めると全く把握しきれないし、しようとする気も起こらない。
このblogでは定期刊行のエロマンガ雑誌については、かなり現実の発行状況に近い情報を提供しているとの自負があるが、それでも東京三世社のものなど把握できない部分があることを認める。
しかしながら、エロマンガ雑誌は潰れるのが当たり前だし、潰れたと思った雑誌がリニューアルされて突然息を吹き返したりするものだ、という認識があるため、不完全な情報を提供してもそれほど恥ずかしいという気がしないところもないではない。
エロマンガ雑誌の歴史については本来、大塚英志あたりがしっかりと書くべきなのだが、肝心の現物が国会図書館にあるわけが無いし、八幡山にもあるかどうかはなはだ疑わしいので、あまり声高に主張する気になれない。さらにエロマンガ雑誌の編集部どころか版元すら現存していないことがままあり、漫画ブリッコからの歴史ですら不完全なものしかたどれないだろう。案外歴史には記録されないことというのは多いのだ。
けれども、やはり過去のある時点でエロマンガ雑誌が印刷され、そこには20名前後のエロ漫画家の作品が掲載されていたはずなのだ。そして、このまま手をこまねいていると彼、彼女らは記録されず、無いものとして処理されてしまう。
むろん中にはそれが本望だという人もいるだろう。むしろそちらの方が多いかもしれない、確かに若い頃エロ漫画で喰っていました、というのはあまり愉快な記憶でないことは充分容易に想像できる。
しかし、それでもなお、その記録を残したいと思うことは傲慢なのだろうか?
過去にお世話になったエロマンガ雑誌についてその記録を残すことはできないが、せめてこれからでも出来る限り情報を残してゆきたいと思う。それはたとえ個人が消滅したとしても、WEB上のキャッシュとしてどこかに残るかもしれない。それが将来、必要とする誰かの手がかりになることを祈りつつblogを書いている。
(失礼ながら敬称は略させていただきました。)