話がズレる瞬間

漫画研究者の竹熊健太郎氏のブログ記事

雑誌が“休刊”するとき

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-253b.html

に対して、
漫画家の須賀原洋行氏が自身のブログの中で

マンガ出版界の大政奉還?何、それ?

http://uaa-nikki.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8d92.html

という疑問を呈しておられる。
方や元編集者にして漫画学部教授、もう一方は「気分は形而上」*1などのヒット作を出した現役漫画家という立場から、それぞれの意見を述べておられ傾聴にあたいする…。
と、書きたいのだが、どうも須賀原洋行氏の方に違和感を感じたのでよく読んでみると、面白いことに気がついた。

送り手が出版社から全く別のもの(個人?)に「大政奉還」されるなんてことは原理的に永遠にあり得ないのだ。

http://uaa-nikki.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8d92.html

須賀原氏の記事の中心、つまりもっともいいたいことはここだと思うが、たぶん間違ってはいないだろう。
始め読んだ時には、竹熊氏は「大政奉還」などという大仰かつ曖昧な言葉を使っているのかと驚いたのだが。
同じブログの前段で

最近は「大政奉還」という言葉も使っておられるようだし。

http://uaa-nikki.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8d92.html

伝聞、あるいは憶測をもとに結論を出してはいけません。
察するに、須賀原氏は竹熊氏のブログを読んだ瞬間に、「大政奉還」という言葉が先に浮かんで、それに沿って文章を組み立てたのだろう。
直感にしたがって文章を書く、というのは当たり前のことなのだが、インパクトを重視するあまりに、相手の文章の中に“無い”言葉を使ってはいけない。
いくら、双方に付き合いのある知人の言葉から聞かされた、パーティーなどの読者のいない現場で見聞きした、過去のブログで使用されていた記憶があった、としても、それは言い訳にはならない。
特に、過去のブログで使用されていたのなら、その部分にリンクを張ればいいだけの話であり、それはコメントトラックバックを書いた人間が負う義務だ。
実際、伝聞の部分を削って、「大政奉還」という言葉を「変わる」に置き換えるだけで、須賀原氏のコメントは竹熊氏に対するとても良い問題提起になるのだから、勇み足はどう考えても損だ。
過ぎたるは及ばざるが如し。
自分自身もやってしまうようなミスなので、自戒の念を持ってこのブログを書いた。
で、せっかくなので、これからのマンガで変わることと、変わらないことについて問題を分けてあらたにトピックスを立てたい。
絶滅の記録

*1:読んでました。あのころのモーニングの中でも出色の出来だと思います