絶滅の記録
第二次大戦後から1959年の「少年サンデー」・「少年マガジン」が発行される前後まで、日本の漫画家と編集者の多くは貸本マンガとよばれるもので生計をたてていた。
貸本漫画
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B8%E6%9C%AC%E6%BC%AB%E7%94%BB
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貸本マンガの前史として紙芝居というものもあったのだが、ここでは絶滅したマンガの一つとしてあげるにとどめておきたい*1。
前出のウィキペディアを読んでいただければあらましはわかるし、細部については異論続出であるのは承知の上で、全国に販路を持つ大手出版社の登場によって貸本マンガは絶滅した、という史観をおおむね正しいものとしてここでは採用する。
ウィキペディア挙げられた白土三平、小島剛夕、水木しげる、さいとう・たかを、楳図かずお、佐藤まさあき、つげ義春、池上遼一といった、漫画史における「トキワ荘」以外の重要な漫画家を貸本マンガは多く輩出したが、すべての貸本漫画家がマガジンやサンデーに移れたか、というと残念ながら、前出の作家以外のほとんどは廃業するか餓死する*2ことになった。*3
仮説1
同じマンガ家=商品でも、販路が変わると業界内に大きな変化が生じる。
そしてその中の一部は変化した環境に対応して生き延びることができるが、大部分にとっては致命的である。
生物学の一部を適当に変えたものだが、仮説としての強度は高いとおもうのだがどうだろう?